研究会活動案内(2007年度)
研究会の予定(3月19日) | ||
過日の研究会(フロイト読書会)は無事終わりました。神田さんのご報告では、フロイトがドストエフスキーの人格を詩人、神経症患者、道徳家、罪人という4つの側面から検討し、とりわけ神経症患者としてのドストエフスキーを心因性の癲癇症だと推定し、父親への憎悪と愛情のアンビヴァレントなものが合わさって父親への同一視が起こるとしています。その場合父殺しの願望から罰としての去勢不安、願望放棄という方向や、無意識のうちに願望残存から罪悪感という方向が正常であるのに対して、雌雄両性的性格の場合には、去勢不安から母親への同一視、父親の愛を受ける代償としての去勢が見られ、それを病的とし、ドストエフスキーをこの例だと推論しています。そして自我と超自我(罪意識)の関係や、父殺しのモチーフを持つソフォクレス『エディプス王』、シェイクスピア『ハムレット』、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』に触れ、犯人と自己との同一視や自己愛を論じ、ドストエフスキーの賭博癖が罪悪感の代理、自己懲罰の方法であるとし、その例としてツヴァイク『ある婦人の生活からの24時間』を挙げ、幼年時代の自慰衝動の表れだと解釈します。 その後の議論としては、家父長制を前提とするエディプスコンプレックスと母性的社会(歴史的には存在しなかったとされる)あるいは母性原理の関係は?、一神教と多神教の関係、父殺しの日本文学における例は? 等々様々な疑問が出され活発に意見交換しました。発表してくださった神田さんはじめ、参加者の皆様にお礼申し上げます。 今回はお二人の新しいメンバーが参加されました。名古屋市立大学看護学部教授で社会学専攻(M.ヴェーバー、田山花袋など文化社会学、物語の臨床社会学)の勝又正直氏とフランス哲学(ドゥルーズ、ラカン、ジジェクなど)専攻の河津氏です。勝又氏のHPは http://shakaigaku.exblog.jp/ と http://homepage3.nifty.com/shakaigaku/ですので、ぜひご覧ください。 4月からの研究会はまだ未定ですが、オーストリア女性作家Lydia Mischkulnigさんが前期の4-7月の期間に、客員教授として本学に滞在されますので、一度朗読会を行います。また、フロイトをめぐる報告会は続けたいと思いますので、発表者を募ります。その他、研究発表や共通テクストのご提案などあればいつでもお知らせください。お待ちしています。 なお、3月31日午後4時から、日本独文学会主催東海支部および名古屋大学国際言語文化研究科共催の、ブラントシュテッター教授講演会とパフォーマンスが名古屋大学文系総合館7階会議ホールで行われますので、こちらもふるって参加してください。(下記参照)
日本独文学会東海支部からのお知らせ 支部長:土屋勝彦 Zweigstelle Tokai der Japanischen Gesellschaft f?r Germanistik Vortrag und Performance Montag, 31. 03. 2008 1. Teil: Vortrag von Prof. Dr. Gabriele Brandstetter (FU Berlin, Tanzwissenschaft) ?Globalisierung und die Folgen f?r die Tanz-Theater-Performance-Kultur: Homogenisierung oder Differenz?““ Zeit: 16.00 ? 18.00 Uhr Ort: Konferenzhalle 7. Etage, Geb?ude f?r Geistes- und Sozialwissenschaften, Universit?t Nagoya (名古屋大学・文系総合館7F、カンファレンスホール) 2.Teil: Videoinstallation/Performance + Talk Kei Fushiki + Rie Takagi:“aqueduct II” Zeit: Performance 18.30 Uhr Talk 19.00 Uhr Ort: Projektgalerie 「clas」, am S?deingang vom Geb?ude f?r Allgemeine Bildung, Universit?t Nagoya (全学教育棟南入口横 教養教育院プロジェクトギャラリー「clas」 およびその周辺) ※ Freier Eintritt http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/index.html E-Mail: Yoko Yamaguchi (k46439a@nucc.cc.nagoya-u.ac.jp) 連絡先:山口庸子(名古屋大学国際言語文化研究科・先端文化論講座) |
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研究会の予定(2月6日) | ||
新年が始まったかと思うといつの間にか2月に入り厳冬となりましたね。入試その他でご多忙のことと思います。少し先になりますが、下記のようにフロイト読書会を開きたいと思いますので、どうぞふるってご参集ください。 日時:3月15日(土曜日)午後4時から 場所:名古屋市立大学人文社会学部国際文化学科会議室(5階515号室) 発表者:神田和恵氏(福井大学非常勤講師) テーマ:フロイト「ドストエフスキーと父親殺し」について |
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研究会からのお知らせ(12月26日) | ||
先日のフロイト読書会は、無事終わりました。発表者の亀井さんをはじめ参加していただいた方々にはこの場を借りてお礼申し上げます。 亀井さんのご発表では、フロイトの機知論について8頁にわたるレジュメで詳細に紹介され、本論文の問題点について活発に議論できました。これは、当時自ら集めたユダヤ・ジョーク集などをもとに、機知の方法、機知の諸傾向、快感のメカニズムと機知の心因、機知の動因、社会的過程としての機知、機知と夢および無意識との関係、機知および滑稽なものの諸種という大きな括りで分析されている1905年の論文ですが、関係する邦訳文献は、サラ・コフマンの『人はなぜ笑うのか? フロイトと機知』(人文書院 1998年)くらいしかありません。具体的な機知の例を読むだけでも面白いのですが、最後の結論として提示される機知、滑稽、ユーモアの快感が生まれる主因として、それぞれ「節約された抑制の消費」「節約された表象の消費」「節約された感情の消費」から生まれるとする抽象的なテーゼとなっており、むしろそれらによって達成されるものが、失われた「子供時代の幸福感の再獲得」だとという結論のほうは、なかなか説得力があります。フロイトの論述は、具体例から出発し、機知の本源的な特徴を抽出しながら、細部に踏み込み、反例を挙げて修正してつつ、仮説を論証し修正していくという循環的ないし演繹的な手法のようです。機知の成立するコミュニケーション・モデルは、話し手と聞き手、事柄、それにコンテクスト(社会的文化的背景)などからなっていますが、機知が対話するパートナー同士の範囲内で成立するのか、第三者の観察者によって成立するのかなど、視点を広げるとさらに興味深い問題が出てきます。いずれにせよ、ハイネやジャン・パウル、リヒテンベルクらの機知からベルグソンの『笑い』までを論じた「機知論」に触れることは貴重であり啓発的でした。フロイトはこの後さらに発展させて、1908年に「詩人と空想すること」という面白い論文を書いています。 さて、来年1月から3月までの研究会は今のところ未定ですが、せっかくの機会なのでフロイトについてどなたかに発表していただければ幸いです。文化論でも宗教論でも結構です。 では、皆様どうぞよいお年をお迎えください。 |
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研究会の予定(12月12日) | ||
慌しい師走となりましたが、皆様ご健勝のことと拝察します。 過日お知らせしましたように、いよいよ来週土曜日に下記の要領でフロイト研究会を行いますので、どうぞふるってご参集くださるようお願いします。 日時:12月22日(土曜日)午後4時より 場所:名古屋市立大学人文社会学部国際文化学科会議室(5階515号室) 報告者:亀井一氏(大阪教育大学準教授) テーマ:フロイトの「機知論」 テクストは、 『フロイト著作集』第4巻(人文書院) 237−421頁:「機知−その無意識との関係」です。 |
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研究会の予定(10月21日) | ||
前回の作家チュルダさんの講演・朗読会は無事終わりました。参加者が少なかったのは残念ですが、ベルリンとウィーンの文学出版事情について多くの知見を得られました。作家と編集者の微妙な関係やドイツとオーストリアの相違点、フランクフルト書籍見本市の問題など、作家ならではのアクチュアルな報告になりました。最後に先週出版された本の一部朗読を聞き、音楽性を有する詩的散文を楽しみました。新作の題名はKrankhafte Lichtung (Verbrecher Verlag)です。(アマゾンの説明は下記参照) 11月は、オーストリア現代ゼミナールの招待講師である文芸評論家・作家ガウスさんの朗読会がありませんので、研究会は休会します。次回は12月22日午後に亀井一氏による「フロイトの機知論」です。 Elfriede Czurda: Krankhafte Lichtung ?Sie will hochfahren schreien eine Stimme existiert nicht ihre Stimmritze ?ffnet sich nicht richtig eine Art Grunzen entf?hrt ihrer Kehle. Sie sch?mt sich versucht noch einmal einen Laut hervorzubringen grunzt.? Die drei Erz?hlungen von Elfriede Czurda zeigen ihre Protagonistinnen zwischen Wahn, Agonie, Traum und lichten Momenten. Die Sprache stellt sie, statt die ?unangemessene ? Verst?rung zu decken, in einer ?berbelichtung zur Schau. Es bleibt unklar, ob in ?Die lecke Rede? Hannah oder ihr Mann Hakn, als dessen kategorische Projektion sie im Text erscheint, das umfassendere Wahn- und Projektionssystem zur Verf?gung hat. Hakns allzu m?chtigem imagin?ren Redefluss widersetzt sich Hannah, indem sie all die verschluckten ?e? in einem gro?en Kotzen wieder erbricht (Gru? an George Perec). ?Der Komparative Startschuss?: die extrem ungleichen Ausgangsbedingungen all ihrer ungleichen imaginativen Doppelg?ngerinnen zeigt Anna Na in einer tr?bseligen und trivialen Umwelt, die sie ins Wort zu setzen sich abm?ht. Aber noch den Vornamen entzieht ihr die ?Fabelhafte Anna?, um die sich alle rei?en. Den Ausgleich zu der H?rte eines kompetitiven Alltags scheint nur das zu bieten, was von den Verw?hnteren gemeinhin als Sozialneid abqualifiziert wird. Im angestrengten Kampf um die Wiedererlangung von Bewusstsein und Kontrolle nach schweren Verbrennungen geraten schlie?lich Hannah in ?Weisser Geruch? immer noch ?alle Br?nde der Welt? in ihren pers?nlichen Verantwortungsbereich. ?ber den Autor Elfriede Czurda ist 1946 in Wels, Ober?sterreich, geboren. Seit 1974 arbeitet sie als Schriftstellerin, ist von 1975 an eineinhalb Jahre lang Generalsekret?rin des gesamt?sterreichischen Schriftstellerverbands Grazer Autorenversammlung in Wien. 1980 erh?lt sie den H?rspielpreis des ORF. 1980 siedelt Elfriede Czurda nach Berlin um. 1991 erscheint der Roman ?Die Giftm?rderinnen?, der ein gro?es Echo findet und zweimal dramatisiert wird. 1996 ist Elfriede Czurda ?Writer in residence? an der Keio-Universit?t in Tokyo. Im Jahr 2000 bekommt sie den Landeskulturpreis f?r Literatur (Ober?sterreich). Seit 2007 lebt Elfriede Czurda wieder in Wien. Derzeit arbeitet sie an mehreren Projekten, unter anderem an dem Roman ?Dichterinnen?, der die Romantrilogie, die mit ?Die Giftm?rderinnen? er?ffnet worden ist und 1997 mit ?Die Schl?ferin? fortgesetzt wird, komplettiert. Weitere Ver?ffentlichungen (Auswahl): ?Ein Griff=eingriff inbegriffen?, ?Diotima oder Die Differenz des Gl?cks?, ?Signora Julia?, ?Kerner?, ?F?lschungen?, ?Unmenschen?, ?UnGl?xReflexe ?, ?Wo bin ich. Wo ist es. Sindsgedichte?. |
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講演会のお知らせ(10月4日) | ||
下記の要領で作家講演会・朗読会を行いますので、どうぞふるってご参集ください。 作家講演会 エルフリーデ・チュルダ氏 日時:10月13日(土曜日)午後4時から 場所:名古屋市立大学人文社会学部国際文化学科会議室(515号室) テーマ:ベルリンとウィーン−文学出版事情をめぐって チュルダ氏は、後期から本学の客員教授として4ヶ月間滞在する予定で、この機会に講演・討論会を行います。昨年より長年住み慣れたベルリンからウィーンに帰ってきたチュルダ氏に、自己の経験を踏まえながら、両都市の文学出版状況をめぐって比較文化論的にお話していただきます。自由闊達な意見交換ができれば嬉しく思います。その後で、最新テクストの朗読もあります。 Vortrag von Elfriede Czurda: Berlin/Wien - Zwei Verlagslandschaften. Ein Vergleich. Zeit u. Ort: um 16 Uhr, 13. 10. 2007. Sitzungsraum der internationalen Kulturwissenschaft (Raum 515) an der Staedtischen Universitaet Nagoya
Werke: Ein Griff = eingriff inbegriffen, 1978; Diotima oder Die Differenz des Gl?cks, 1982 (Prosa); Signora Julia, 1985 (Prosa); Die Giftm?rderinnen, 1991 (Roman); Voik. Gehirn, Stockung, Notat, St?rme, 1993 (Gedichte); Buchst?blich: Unmenschen, 1995 (Essays); Die Schl?ferin, 1997 (Roman). 参考HP: http://de.wikipedia.org/wiki/Elfriede_Czurda http://www.autorinnen-und-grosse-themen.de/index.php?title=Elfriede_Czurda |
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新刊書のお知らせ(9月24日) | ||
メンバーの関口さんから新刊書をいただきましたので、簡単にご紹介します。10月初旬に書店に出る予定ですが、ご関心の向きはぜひ手にとってご覧ください。 関口裕昭著『評伝 パウル・ツェラン』(慶応義塾大学出版会) 目次: プロローグ 第一章 カスターニエンの樹々の向こうには世界がある 第二章 成長 第三章 黒い雪辺 第四章 死のフーガ 第五章 鏡の中は日曜日 第六章 グラスの中の停泊地 第七章 慰めようとしない輝き 第八章 あらゆるあなたの悲しみの上に 第九章 盲目へと説き伏せられて 第十章 息の結晶 第十一章 心の中に来るべき言葉を期待して 第十二章 言え、エルサレムはあると エピローグ 本書は、本邦初の本格的ツェラン評伝として執筆されました。文芸季刊誌『羚』に連載された論考を大幅に加筆修正してまとめられた長年の研究成果であり、また巻頭の諸写真は生前のツェランを偲ぶ貴重な資料となっています。ツェランの詩業をその生の軌跡から丹念に読み解きつつ、当時の交友、時代背景、とりわけチェルノヴィッツ、ブカレスト、ウィーン、パリへと続く彷徨の地誌的歩みを誠に丁寧かつ詳細にたどり、ツェランの生きた時代と精神を縦横に論じたご労作です。貴重な一次・二次文献を渉猟しつつ、生前交友のあった人々とのインタヴューや当地訪問による情景描写によって、読者は当時の詩的風景をありありと思い描くことができるでしょう。今後のツェラン研究に欠かせないスタンダードワークとなるばかりでなく、広く東欧文学、ユダヤ文化に関心をいだく人々にとっても貴重な文献となるでしょう。 著者によれば、本書は「水平軸上の探索」たる『パウル・ツェランへの旅』(郁文堂2006年)の姉妹編であり、「時間軸に沿った垂直方向の探索」となっており、今後執筆予定のユダヤ性を中心とする研究書と合わせて三部作となる予定とのことです。 まずは浩瀚な本書の完成を心よりお祝い申し上げます。 |
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後期研究会の予定(8月20日) | ||
西成彦氏の講演会は無事終わりました。外地の日本語文学というユニークな視座から日本語文学を再考するもので、北海道、台湾、朝鮮、パラオ、上海、北米、ブラジル、満州国で展開された日本語文学の諸相を俯瞰しつつ、内地の「国文学」を相対化し異化する試みでした。これはポーランド文学やイディッシュ語文学、クレオール、ラフカディオ・ハーン、宮沢賢治などを精力的に研究されてきた西氏の複合的越境的な視線に映る日本語文学の姿であるように思えます。 活発な意見交換の後、懇親会でもおおいに歓談できました。 本研究会は、10月13日(土曜)に作家チュルダさんの朗読会、12月22日(土曜)に大坂教育大学准教授の亀井一さんによるご報告「フロイトの機知論」を予定しています。後日またお知らせしますが、手帳などにメモしておいてください。なお、フロイトの機知論は、人文書院の『フロイト著作集』第4巻にある「機知−その無意識との関係」Der Witz und seine Beziehung zum Unbewussten 237−421頁です。今後の共通テクストとしては、ご提案のあったニーチェやカフカ(あるいはフロイトの継続?)などを考えていますが、具体的なテクストのご提案があればまたお知らせください。 では皆様どうぞお元気でお過ごしください。 |
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