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研究会活動案内(2007年度)

研究会の予定(3月19日)

 過日の研究会(フロイト読書会)は無事終わりました。神田さんのご報告では、フロイトがドストエフスキーの人格を詩人、神経症患者、道徳家、罪人という4つの側面から検討し、とりわけ神経症患者としてのドストエフスキーを心因性の癲癇症だと推定し、父親への憎悪と愛情のアンビヴァレントなものが合わさって父親への同一視が起こるとしています。その場合父殺しの願望から罰としての去勢不安、願望放棄という方向や、無意識のうちに願望残存から罪悪感という方向が正常であるのに対して、雌雄両性的性格の場合には、去勢不安から母親への同一視、父親の愛を受ける代償としての去勢が見られ、それを病的とし、ドストエフスキーをこの例だと推論しています。そして自我と超自我(罪意識)の関係や、父殺しのモチーフを持つソフォクレス『エディプス王』、シェイクスピア『ハムレット』、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』に触れ、犯人と自己との同一視や自己愛を論じ、ドストエフスキーの賭博癖が罪悪感の代理、自己懲罰の方法であるとし、その例としてツヴァイク『ある婦人の生活からの24時間』を挙げ、幼年時代の自慰衝動の表れだと解釈します。

 その後の議論としては、家父長制を前提とするエディプスコンプレックスと母性的社会(歴史的には存在しなかったとされる)あるいは母性原理の関係は?、一神教と多神教の関係、父殺しの日本文学における例は? 等々様々な疑問が出され活発に意見交換しました。発表してくださった神田さんはじめ、参加者の皆様にお礼申し上げます。

 今回はお二人の新しいメンバーが参加されました。名古屋市立大学看護学部教授で社会学専攻(M.ヴェーバー、田山花袋など文化社会学、物語の臨床社会学)の勝又正直氏とフランス哲学(ドゥルーズ、ラカン、ジジェクなど)専攻の河津氏です。勝又氏のHPは http://shakaigaku.exblog.jp/ と http://homepage3.nifty.com/shakaigaku/ですので、ぜひご覧ください。

 4月からの研究会はまだ未定ですが、オーストリア女性作家Lydia Mischkulnigさんが前期の4-7月の期間に、客員教授として本学に滞在されますので、一度朗読会を行います。また、フロイトをめぐる報告会は続けたいと思いますので、発表者を募ります。その他、研究発表や共通テクストのご提案などあればいつでもお知らせください。お待ちしています。

 なお、3月31日午後4時から、日本独文学会主催東海支部および名古屋大学国際言語文化研究科共催の、ブラントシュテッター教授講演会とパフォーマンスが名古屋大学文系総合館7階会議ホールで行われますので、こちらもふるって参加してください。(下記参照)


日本独文学会東海支部からのお知らせ  支部長:土屋勝彦  

Zweigstelle Tokai der Japanischen Gesellschaft f?r Germanistik

Vortrag  und  Performance

Montag, 31. 03. 2008 
         

1. Teil: Vortrag von Prof. Dr. Gabriele Brandstetter

        (FU Berlin, Tanzwissenschaft)

?Globalisierung und die Folgen f?r die Tanz-Theater-Performance-Kultur:

Homogenisierung oder Differenz?““

Zeit: 16.00 ? 18.00 Uhr

Ort: Konferenzhalle 7. Etage,

Geb?ude f?r Geistes- und 

Sozialwissenschaften, Universit?t Nagoya

(名古屋大学・文系総合館7F、カンファレンスホール)

2.Teil: Videoinstallation/Performance + Talk

Kei Fushiki + Rie Takagi:“aqueduct II”

Zeit: Performance 18.30 Uhr Talk 19.00 Uhr

Ort: Projektgalerie 「clas」, am S?deingang vom Geb?ude f?r Allgemeine Bildung, Universit?t Nagoya

(全学教育棟南入口横 教養教育院プロジェクトギャラリー「clas」

およびその周辺)                   ※ Freier Eintritt 

http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/index.html

E-Mail: Yoko Yamaguchi (k46439a@nucc.cc.nagoya-u.ac.jp)

連絡先:山口庸子(名古屋大学国際言語文化研究科・先端文化論講座)

研究会の予定(2月6日)

 新年が始まったかと思うといつの間にか2月に入り厳冬となりましたね。入試その他でご多忙のことと思います。少し先になりますが、下記のようにフロイト読書会を開きたいと思いますので、どうぞふるってご参集ください。

日時:3月15日(土曜日)午後4時から

場所:名古屋市立大学人文社会学部国際文化学科会議室(5階515号室)

発表者:神田和恵氏(福井大学非常勤講師)

テーマ:フロイト「ドストエフスキーと父親殺し」について

研究会からのお知らせ(12月26日)

 先日のフロイト読書会は、無事終わりました。発表者の亀井さんをはじめ参加していただいた方々にはこの場を借りてお礼申し上げます。

亀井さんのご発表では、フロイトの機知論について8頁にわたるレジュメで詳細に紹介され、本論文の問題点について活発に議論できました。これは、当時自ら集めたユダヤ・ジョーク集などをもとに、機知の方法、機知の諸傾向、快感のメカニズムと機知の心因、機知の動因、社会的過程としての機知、機知と夢および無意識との関係、機知および滑稽なものの諸種という大きな括りで分析されている1905年の論文ですが、関係する邦訳文献は、サラ・コフマンの『人はなぜ笑うのか? フロイトと機知』(人文書院 1998年)くらいしかありません。具体的な機知の例を読むだけでも面白いのですが、最後の結論として提示される機知、滑稽、ユーモアの快感が生まれる主因として、それぞれ「節約された抑制の消費」「節約された表象の消費」「節約された感情の消費」から生まれるとする抽象的なテーゼとなっており、むしろそれらによって達成されるものが、失われた「子供時代の幸福感の再獲得」だとという結論のほうは、なかなか説得力があります。フロイトの論述は、具体例から出発し、機知の本源的な特徴を抽出しながら、細部に踏み込み、反例を挙げて修正してつつ、仮説を論証し修正していくという循環的ないし演繹的な手法のようです。機知の成立するコミュニケーション・モデルは、話し手と聞き手、事柄、それにコンテクスト(社会的文化的背景)などからなっていますが、機知が対話するパートナー同士の範囲内で成立するのか、第三者の観察者によって成立するのかなど、視点を広げるとさらに興味深い問題が出てきます。いずれにせよ、ハイネやジャン・パウル、リヒテンベルクらの機知からベルグソンの『笑い』までを論じた「機知論」に触れることは貴重であり啓発的でした。フロイトはこの後さらに発展させて、1908年に「詩人と空想すること」という面白い論文を書いています。

 さて、来年1月から3月までの研究会は今のところ未定ですが、せっかくの機会なのでフロイトについてどなたかに発表していただければ幸いです。文化論でも宗教論でも結構です。

 では、皆様どうぞよいお年をお迎えください。

 
研究会の予定(12月12日)

 慌しい師走となりましたが、皆様ご健勝のことと拝察します。

 過日お知らせしましたように、いよいよ来週土曜日に下記の要領でフロイト研究会を行いますので、どうぞふるってご参集くださるようお願いします。

日時:12月22日(土曜日)午後4時より

場所:名古屋市立大学人文社会学部国際文化学科会議室(5階515号室)

報告者:亀井一氏(大阪教育大学準教授)

テーマ:フロイトの「機知論」 

テクストは、 『フロイト著作集』第4巻(人文書院) 237−421頁:「機知−その無意識との関係」です。

研究会の予定(10月21日)

 前回の作家チュルダさんの講演・朗読会は無事終わりました。参加者が少なかったのは残念ですが、ベルリンとウィーンの文学出版事情について多くの知見を得られました。作家と編集者の微妙な関係やドイツとオーストリアの相違点、フランクフルト書籍見本市の問題など、作家ならではのアクチュアルな報告になりました。最後に先週出版された本の一部朗読を聞き、音楽性を有する詩的散文を楽しみました。新作の題名はKrankhafte Lichtung (Verbrecher Verlag)です。(アマゾンの説明は下記参照)

 11月は、オーストリア現代ゼミナールの招待講師である文芸評論家・作家ガウスさんの朗読会がありませんので、研究会は休会します。次回は12月22日午後に亀井一氏による「フロイトの機知論」です。

 Elfriede Czurda: Krankhafte Lichtung
Kurzbeschreibung

?Sie will hochfahren schreien eine Stimme existiert nicht ihre Stimmritze ?ffnet sich nicht richtig eine Art Grunzen entf?hrt ihrer Kehle. Sie sch?mt sich versucht noch einmal einen Laut hervorzubringen grunzt.? Die drei Erz?hlungen von Elfriede Czurda zeigen ihre Protagonistinnen zwischen Wahn, Agonie, Traum und lichten Momenten. Die Sprache stellt sie, statt die ?unangemessene ? Verst?rung zu decken, in einer ?berbelichtung zur Schau. Es bleibt unklar, ob in ?Die lecke Rede? Hannah oder ihr Mann Hakn, als dessen kategorische Projektion sie im Text erscheint, das umfassendere Wahn- und Projektionssystem zur Verf?gung hat. Hakns allzu m?chtigem imagin?ren Redefluss widersetzt sich Hannah, indem sie all die verschluckten ?e? in einem gro?en Kotzen wieder erbricht (Gru? an George Perec). ?Der Komparative Startschuss?: die extrem ungleichen Ausgangsbedingungen all ihrer ungleichen imaginativen Doppelg?ngerinnen zeigt Anna Na in einer tr?bseligen und trivialen Umwelt, die sie ins Wort zu setzen sich abm?ht. Aber noch den Vornamen entzieht ihr die ?Fabelhafte Anna?, um die sich alle rei?en. Den Ausgleich zu der H?rte eines kompetitiven Alltags scheint nur das zu bieten, was von den Verw?hnteren gemeinhin als Sozialneid abqualifiziert wird. Im angestrengten Kampf um die Wiedererlangung von Bewusstsein und Kontrolle nach schweren Verbrennungen geraten schlie?lich Hannah in ?Weisser Geruch? immer noch ?alle Br?nde der Welt? in ihren pers?nlichen Verantwortungsbereich.

?ber den Autor

Elfriede Czurda ist 1946 in Wels, Ober?sterreich, geboren. Seit 1974 arbeitet sie als Schriftstellerin, ist von 1975 an eineinhalb Jahre lang Generalsekret?rin des gesamt?sterreichischen Schriftstellerverbands Grazer Autorenversammlung in Wien. 1980 erh?lt sie den H?rspielpreis des ORF. 1980 siedelt Elfriede Czurda nach Berlin um. 1991 erscheint der Roman ?Die Giftm?rderinnen?, der ein gro?es Echo findet und zweimal dramatisiert wird. 1996 ist Elfriede Czurda ?Writer in residence? an der Keio-Universit?t in Tokyo. Im Jahr 2000 bekommt sie den Landeskulturpreis f?r Literatur (Ober?sterreich). Seit 2007 lebt Elfriede Czurda wieder in Wien. Derzeit arbeitet sie an mehreren Projekten, unter anderem an dem Roman ?Dichterinnen?, der die Romantrilogie, die mit ?Die Giftm?rderinnen? er?ffnet worden ist und 1997 mit ?Die Schl?ferin? fortgesetzt wird, komplettiert. Weitere Ver?ffentlichungen (Auswahl): ?Ein Griff=eingriff inbegriffen?, ?Diotima oder Die Differenz des Gl?cks?, ?Signora Julia?, ?Kerner?, ?F?lschungen?, ?Unmenschen?, ?UnGl?xReflexe ?, ?Wo bin ich. Wo ist es. Sindsgedichte?.

講演会のお知らせ(10月4日)

下記の要領で作家講演会・朗読会を行いますので、どうぞふるってご参集ください。

作家講演会 エルフリーデ・チュルダ氏

日時:10月13日(土曜日)午後4時から

場所:名古屋市立大学人文社会学部国際文化学科会議室(515号室)

テーマ:ベルリンとウィーン−文学出版事情をめぐって

 チュルダ氏は、後期から本学の客員教授として4ヶ月間滞在する予定で、この機会に講演・討論会を行います。昨年より長年住み慣れたベルリンからウィーンに帰ってきたチュルダ氏に、自己の経験を踏まえながら、両都市の文学出版状況をめぐって比較文化論的にお話していただきます。自由闊達な意見交換ができれば嬉しく思います。その後で、最新テクストの朗読もあります。

Vortrag von Elfriede Czurda:

Berlin/Wien - Zwei Verlagslandschaften. Ein Vergleich.

Zeit u. Ort: um 16 Uhr, 13. 10. 2007. Sitzungsraum der internationalen Kulturwissenschaft (Raum 515) an der Staedtischen Universitaet Nagoya


Czurda, Elfriede, * 25. 4. 1946 Wels (Ober?sterreich), Schriftstellerin und H?rspielautorin, lebt seit 1980 in Berlin und Wien. Czurda ?bt in ihren Texten feministische Sprach- und Sozialkritik und sucht nach Bildern einer positiven weiblichen Utopie.

Werke: Ein Griff = eingriff inbegriffen, 1978; Diotima oder Die Differenz des Gl?cks, 1982 (Prosa); Signora Julia, 1985 (Prosa); Die Giftm?rderinnen, 1991 (Roman); Voik. Gehirn, Stockung, Notat, St?rme, 1993 (Gedichte); Buchst?blich: Unmenschen, 1995 (Essays); Die Schl?ferin, 1997 (Roman).

参考HP:

http://de.wikipedia.org/wiki/Elfriede_Czurda

http://www.autorinnen-und-grosse-themen.de/index.php?title=Elfriede_Czurda

新刊書のお知らせ(9月24日)
 メンバーの関口さんから新刊書をいただきましたので、簡単にご紹介します。10月初旬に書店に出る予定ですが、ご関心の向きはぜひ手にとってご覧ください。

関口裕昭著『評伝 パウル・ツェラン』(慶応義塾大学出版会)

目次:

プロローグ

第一章 カスターニエンの樹々の向こうには世界がある

第二章 成長

第三章 黒い雪辺

第四章 死のフーガ

第五章 鏡の中は日曜日

第六章 グラスの中の停泊地

第七章 慰めようとしない輝き

第八章 あらゆるあなたの悲しみの上に

第九章 盲目へと説き伏せられて

第十章 息の結晶

第十一章 心の中に来るべき言葉を期待して

第十二章 言え、エルサレムはあると

エピローグ

本書は、本邦初の本格的ツェラン評伝として執筆されました。文芸季刊誌『羚』に連載された論考を大幅に加筆修正してまとめられた長年の研究成果であり、また巻頭の諸写真は生前のツェランを偲ぶ貴重な資料となっています。ツェランの詩業をその生の軌跡から丹念に読み解きつつ、当時の交友、時代背景、とりわけチェルノヴィッツ、ブカレスト、ウィーン、パリへと続く彷徨の地誌的歩みを誠に丁寧かつ詳細にたどり、ツェランの生きた時代と精神を縦横に論じたご労作です。貴重な一次・二次文献を渉猟しつつ、生前交友のあった人々とのインタヴューや当地訪問による情景描写によって、読者は当時の詩的風景をありありと思い描くことができるでしょう。今後のツェラン研究に欠かせないスタンダードワークとなるばかりでなく、広く東欧文学、ユダヤ文化に関心をいだく人々にとっても貴重な文献となるでしょう。

 著者によれば、本書は「水平軸上の探索」たる『パウル・ツェランへの旅』(郁文堂2006年)の姉妹編であり、「時間軸に沿った垂直方向の探索」となっており、今後執筆予定のユダヤ性を中心とする研究書と合わせて三部作となる予定とのことです。

 まずは浩瀚な本書の完成を心よりお祝い申し上げます。

 
 後期研究会の予定(8月20日)
 西成彦氏の講演会は無事終わりました。外地の日本語文学というユニークな視座から日本語文学を再考するもので、北海道、台湾、朝鮮、パラオ、上海、北米、ブラジル、満州国で展開された日本語文学の諸相を俯瞰しつつ、内地の「国文学」を相対化し異化する試みでした。これはポーランド文学やイディッシュ語文学、クレオール、ラフカディオ・ハーン、宮沢賢治などを精力的に研究されてきた西氏の複合的越境的な視線に映る日本語文学の姿であるように思えます。

 活発な意見交換の後、懇親会でもおおいに歓談できました。

 

 本研究会は、10月13日(土曜)に作家チュルダさんの朗読会、12月22日(土曜)に大坂教育大学准教授の亀井一さんによるご報告「フロイトの機知論」を予定しています。後日またお知らせしますが、手帳などにメモしておいてください。なお、フロイトの機知論は、人文書院の『フロイト著作集』第4巻にある「機知−その無意識との関係」Der Witz und seine Beziehung zum Unbewussten 237−421頁です。今後の共通テクストとしては、ご提案のあったニーチェやカフカ(あるいはフロイトの継続?)などを考えていますが、具体的なテクストのご提案があればまたお知らせください。

 では皆様どうぞお元気でお過ごしください。

 
 2007/8/10 講演と懇話の夕べ−西成彦氏を囲んで 

  本日から金曜日まで、立命館大学大学院先端総合学術研究科教授の西成彦氏が集中講義で本学に滞在されますので、最終日の8月10日(金曜日)午後4時より下記のようなテーマで講演と意見交換の夕べを行います。この機会にふるってご参集ください。なおその後、有志で懇親会も行います。

講演と懇話の夕べ−西成彦氏を囲んで

日時:8月10日(金曜日)午後4時から6時まで

場所:名古屋市立大学人文社会学部国際文化学科会議室(515号室)

テーマ:「日本語の隣人たち」

日本語を複数言語使用の一部として文学的に用いた作家たちをとりあげます。

森鴎外『舞姫』、同『鼠坂』、佐藤春夫『女誡扇奇譚』『霧社』、石川達三『蒼氓』、

湯浅克衛『カンナニ』、中島敦『マリヤン』、知里幸恵『アイヌ神謡集』、呂赫若『隣居』、

邱永漢『密入国者の手記』、テレサ・ハッキョンチャ『ディクテ』、多和田葉子『旅をする裸の眼』などを扱います。


西成彦氏のプロフィール:
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/nm01/index.htm


新刊書紹介:
 鈴木仁子さんの個人訳によるゼーバルト・コレクションの新刊書が出ました。『土星の環』(白水社)です。これで『アウステルリッツ』、『移民たち』、『目眩まし』に引き続いて4巻が出揃いました。

出版社からのコメント:

 <私>はイギリス南東部を徒歩で旅し、過去何世紀にもわたる様々な破壊の跡を目にした。海辺で、資料館で、<私>の連想は、帝国主義時代のオランダの過去、ワーテルローの戦場跡を訪れた記憶、バルカン半島における虐殺の歴史、アフリカ大陸でのベルギーの搾取や略奪などへと続いていく。
 <私>は旅先で多くの人びとと出会い、過去の様々な人びとを想起し、その生涯を辿る。コンゴで植民地主義の狂気を目の当たりにし、『闇の奥』を書いたコンラッド、「理想の国民」たる蚕を偏愛した西太后、フランス革命前後の激動をくぐり抜け、回想録『墓のかなたから』を書いたシャトーブリアン......。
 最後に<私>は、中国からヨーロッパにもたらされ、各国で国家事業として育成された養蚕に思いをはせる。養蚕を国家意識高揚に結びつける企図は、百年後ナチによっても鼓舞されていた......。
 思索や連想の糸がたぐられ、ヨーロッパ帝国主義による破壊と自然がもたらした災厄、古今の文人たちの生涯を辿っていく。誰も振り返らない往古の出来事、忘れられた廃墟が、時空を超えて呼び戻される。境界がなく、脱線と反復を真骨頂とする、ゼーバルト独自の世界。解説=柴田元幸

 
 ドイツ現代文化研究会の皆様へ(7月30日)

 7月21日のフロイト読書会は無事終わりました。須藤さんの丁寧なご報告の後、活発な意見交換ができました。「トーテムとタブー」の後半部は、父殺しの核心に迫る面白い論文ですが、フロイトのきわめて特異な考察の起源(両価性、二項対立的思考)に触れる思いがしました。ご出席いただいた皆様にはこの場を借りてお礼申し上げます。また懇親会にはザビーネ・ショルさんも参加され歓談することができました。皆様にもよろしくとのことです。
 さて、研究会は8,9月を休みにして、10月からまた行う予定です。また今年度後期(10月から1月まで)は、作家のEfriede Czurdaさんが再度客員教授として本学に来られますので、また一度朗読会を行いたいと思います。
 なお、西成彦さんが集中講義(8月7日ー10日)で本学にいらっしゃいますので、8月10日午後4時頃に国際文化学科会議室にて懇話会などを行う予定です。ご関心の向きはこの機会にぜひ参加してください。

 
 ドイツ現代文化研究会の皆さんへ(6月19日)
  前回の作家朗読会は、無事終わりました。オーバーマイアー氏の作品朗読に続いて、活発な質疑応答があり充実した時を過ごすことができました。参加してくださった方々にはこの場を借りてお礼申し上げます。氏の作品は、最近の若手作家では珍しくオーソドックスな文体で端整に描かれた風景描写と内省が綴られており、Stifterの文章を髣髴させる「純文学」のようです。またその内容もオーストリア文学の伝統とも言うべき憂鬱なペシミズムが漂っているように思われます。この朗読会の後、さらに山口と東京で朗読会が行われました。寡作な作家であることもあって、作家活動は順風とは言えませんが、今後の活躍を願うばかりです。なお、7月3日にSchollさんの友人のLydia Mischkulnigという若手オーストリア作家("Umarmung" Roman 2002 DVAなど)が名古屋に来ますので、朗読会を開きたいところですが、独文学会東海支部の発表会が7日にあるので、その余裕がありません。発表会には参加されることでしょう。また今年のオーストリア現代文学ゼミ(11月9−11日)では、Karl-Markus Gaussという作家兼文学評論家が講師として招待されます。ご関心の向きはお知らせください。オーガナイザーは広島大学のFedermairさんと私です。

http://www.literaturhaus.at/autoren/M/L-Mischkulnig/bio.html

さて、次回の研究会は、大分先になりますが、下記の日程でまたフロイトを扱いますのでふるってご参集ください。

第三回フロイト読書会

日時:7月21日(土曜日)午後4時から
場所:名古屋市立大学人文社会学部国際文化学科会議室
テーマ:フロイト「トーテムとタブー」(後半)
報告:須藤勲氏(名古屋大学大学院博士後期課程)

ドイツ現代文化研究会の案内 (5月23日)
前回のフロイト読書会では、福岡麻子さんのご報告で、「トーテムとタブー」の前半を扱いました。成立と構成、まえがき、T近親性交忌避、Uタブーと感情のアンビヴァレンツという構成にしたがって、原典からの引用を含めて、とても丁寧で詳細な報告をしていただき、ありがとうございました。この論文は、精神分析学と民族心理学との接点をはかる重要な著作で、フロイト理論の原点とも呼べるものです。未開人と神経症患者との精神生活における一致点という副題からも覗えるようにタブーと強迫の一致性について考察した興味深い論考です。両価性というキーワードによって欲動の機制が明快に論述されているように見えながら、その記述のあり方は複合的で屈折しているところが散見されます。しかし母権制や父権制、宗教の根源的問題を析出しようとする意欲的な仮説はスリリングで啓発に富むもののように思われます。次回には後半を扱い、「原父殺し」の本質的問題に入りますが、前半はいわばその前提となる議論が展開されています。

 なお、次回のフロイト読書会は、7月21日(土曜日)午後4時から行います。報告は須藤勲さんにお願いしました。どうぞよろしくお願いします。

 次回の研究会では、来週の土曜日に作家朗読会を行いますので、ふるってご参集ください。朗読テクストは、Nachleben(eine ueberarbeitete Version des Siegertextes vom Floriana-Preis)です。添付書類としてお送りします。

 

作家朗読会:リヒャルト・オーバーマイアー氏(Richard Obermayr)

日時:6月2日(土曜日)午後4時から6時まで

場所:名古屋市立大学人文社会学部国際文化学科会議室

Text: Nachleben

 Obermayr氏は1970年生まれで、"Der gef?lschte Himmel"(Resideny Verlag) 1998で注目された気鋭の若手作家です。オーストリア大使館文化参事官のZemsauer氏も一緒に来られます。

http://www.richardobermayr.at/

http://www.literaturhaus.at/autoren/O/R-Obermayr/bio.html

Selbstverh?re und Mitwisser im Stift: Literaturwettbewerb Floriana

Von "Literatur und Verbrechen" handelten die Texte beim kleinen, feinen Wettbewerb in St. Florian: Der Siegerbeitrag von Richard Obermayr ?berstrahlte die Konkurrenz
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St. Florian - "Es darf nur einen Mitwisser geben, mich", hei?t es in Werner Koflers Konkurrenz. In diesem mit Versatzst?cken des Krimis spielenden Roman f?hrte der K?rntner Autor 1984 die literarische Besch?ftigung mit dem Thema Verbrechen in lichte H?hen. Allerdings verga? sein Protagonist in seinem Furor: Schon der Text ist ein gef?hrlicher Mitwisser, vom Leser ganz zu schweigen.

?hnliches trug sich vergangenes Wochenende beim Wettlesen um den Literaturpreis Floriana im Augustiner-Chorherrenstift St. Florian zu. Der Rahmen des schmucken Gartensaals, in dem neun Autorinnen und Autoren aus ?sterreich, Deutschland und der Schweiz um Preise lasen, erwies sich als tr?gerische Idylle: Im Herzen der meisten vorgestellten Texte lauerte Finsternis.


Auch oder gerade weil es hier, wie bei Kofler, allenfalls vordergr?ndig um Morde und andere Straftaten ging. Das vom r?hrigen Organisationsteam Klaus und Charlotte Liedl ausgegebene Motto "Literatur und Verbrechen" n?tzten viele Teilnehmer, um einen tiefen Blick ins Innere ihrer Figuren zu werfen. Verbrechen finden schlie?lich immer zuerst im Kopf statt. Manche tun es nur dort.


So gestaltete sich der von einer raren Sprachmacht zeugende Siegertext des Ober?sterreichers Richard Obermayr als Selbstverh?r eines Pistolensch?tzen, der mit an Sicherheit grenzender Wahrscheinlichkeit gar kein Verbrechen begangen hat. Auch wenn der in der Tradition der Moderne zu verankernde Text bewusst nie ganz klar wurde, lie? sich irgendwann erahnen: Hier erfindet jemand ein gro?es Ereignis, um dadurch sein ereignisloses Dasein vor sich selbst zu legitimieren.


Der in Literaturzirkeln seit Jahren als ganz Gro?er von morgen beraunte Obermayr lie? diesen groben Handlungsverlauf in seinem virtuos gearbeiteten Text freilich nur zwischendurch aufblitzen. "Es gab keinerlei Reihenfolge, kein Nacheinander von Ereignissen", hei?t es darin einmal. Man konnte in dieser Hinsicht ein stilles, wenngleich nicht minder abgr?ndiges ?quivalent zu den Filmen David Lynchs erkennen. Oder auch eine melancholische Textmaschine, die sich nicht entscheiden will oder kann, ob sie um sich selbst kreisen oder Sinn generieren soll.
Im Zentrum des noch unpublizierten Textes steht das Problem der Erinnerung. Immer wieder blitzen grandiose Bilder auf, etwa wenn die der Figur verloren gegangene Vergangenheit eines Tages in Gestalt eines Hundes wieder auftaucht. Dadurch wird ein Selbstverh?r angeregt, das wenig zutage bringt und nur umso verst?render ausf?llt. Vielleicht darf der Leser darin auch eine Parallele zum eigenen, folgenlos dahinflie?enden Leben erkennen, mit dem man sich lieber nicht eingehend besch?ftigt.
Obermayrs Beitrag ?berragte mit seinem Sprach- und Reflexionsniveau die Konkurrenz. Aber auch das restliche Teilnehmerfeld, in dem sich auch der Bachmann-Preis-Tr?ger 2005, Thomas Lang, Michael Stavaric oder Lydia Mischkulnig befanden, pr?sentierte teils qualitativ Hochwertiges.
Adam, Eva und Lilith
Die aus K?rnten stammende Mischkulnig etwa verwirrte auf anregende Weise mit einem Text aus der Sicht einer psychotischen Frau, die - von ihrem Mann verlassen - zur Stalkerin wird. Zus?tzlich aufgeladen wurde der Text durch seine Bez?ge zur Geschichte von Adam, Eva und Lilith. Obwohl sich J?rg Amann, der als Sieger der letzten Floriana 2004 in der Jury sa?, zun?chst Sorgen um die Autorin machte, ergab das den dritten Platz. Die mitzufavorisierenden Stavaric und Lang gingen hingegen leer aus. Der Ausschnitt aus dem Roman Stillborn, den Ersterer las, war Teilen der nebst Amann aus Peter Huemer, Erika Pluhar, Ingeborg Sperl und Anton Thuswaldner zusammengesetzten Jury zu trostlos und d?ster. Langs Text wiederum wurde weniger auf seine literarische Qualit?t abgeklopft als auf die Frage, wie stark er sich aus den Wirtschaftsverbrechen von Franz Josef Strau?' Sohn Max speist (ziemlich). (Sebastian Fasthuber/ DER STANDARD, Printausgabe, 13.11.2006)
>>>Unsichtbarer Sieger: Richard Obermayr Unsichtbarer Sieger
Richard Obermayr gewann in St. Florian
Die Gesetze des Marktes wollen, dass man als Autor mindestens alle zwei, drei Jahre ein Buch zu ver?ffentlichen hat. Sonst existiert man nicht. Der 36-j?hrige Richard Obermayr ist so ein Unsichtbarer.
Dennoch z?hlt er zu den bemerkenswertesten j?ngeren Belletristen dieser Tage. Und das mit nur einer einzigen Buchver?ffentlichung: 1998 erschien bei Residenz der Roman Der gef?lschte Himmel, der sich mit seiner bildm?chtigen Sprache auch zu einem beachtlichen Verkaufserfolg entwickelte. Seitdem: Schweigen. Bis zum Abschluss des Romanprojekts, an dem er seit acht Jahren arbeitet. (fasth/ DER STANDARD, Printausgabe, 13.11.2006)

 
 ドイツ現代文化研究会の皆さんへ(5月7日)

  いよいよ今週の金曜日に、第二回のフロイト輪読会を行いますので、どうぞふるってご参集ください。
第二回フロイト読書会
日時:5月11日(金曜日)午後5時30分から(曜日と時間帯が通常と異なりますのでお間違えのないようお願いします)
場所:名古屋市立大学人文社会学部国際文化学科会議室(5階515号室)
テーマ:フロイト「トーテムとタブー」(前半)
報告:福岡麻子氏(名古屋大学大学院博士後期課程)

 前回のショル氏の朗読会は、参加者数が少なかったのは残念でしたが、日本に関するいくつかのエッセイを伺い、懇親会を含め、「日本的なるもの」をめぐって活発な意見交換ができました。参加していただいた方々にはこの場を借りてお礼申し上げます。彼女のエッセイにも、作品と同様に、音楽的なリズムと音調を感得することができました。

 
 研究会の皆様へ(4月21日)
  お知らせしたとおり、いよいよ来週の土曜日に、ベルリン在住のオーストリア作家Sabine Scholl氏の朗読会を行いますので、ふるってご参集ください。

作家講演会:サビーネ:ショル氏

日時:4月28日(土曜日)午後4時から

場所:名古屋市立大学人文社会学部国際文化学科会議室(515号室)

テーマ:Sprachlos in Japan 日本の社会と文化をめぐるエッセイ
Einladung zur Lesung von Sabine Scholl, die oesterreichische Schriftstellerin ist.
Zeit: von 16 bis 18 Uhr am 28. April 2007
Ort: im Sitzungsraum (Nr.515) der Abteilung fuer die internationale Kulturwissenschaft an der Staedtischen Uni Nagoya

Thema: Sprachlos in Japan

http://sabinescholl.com/

新刊書紹介:

メンバーの神谷裕子さんから寄贈していただいた本『異文化理解の諸相』(近代文芸社)を紹介します。「ゲルマニスティネンの会」東海支部のメンバーとして、「現代ドイツ語圏女性文学研究会」の活動も行っている方々が日頃の研究と結びつけながら、異文化理解をめぐって様々な形で考察した興味深い論集です。ぜひ一度手にとってご覧ください。

目次:(敬称略)

異文化に生きる女性・・・内田イレーネ

聖エリーザベトのスペクトル・・・神谷裕子

「橋」としてのハイネ・・・立川希代子

アンナ・ゼーガースとメキシコ・・・神田和恵

ろう者の世界ーことば・教育・多様性・・・山田やす子

 
 ドイツ現代文化研究会の皆さんへ (3月29日)

 
次回の研究会を下記の要領で行いますので、どうぞふるってご参集ください。手帳などにメモしていただくと幸いです。

作家講演会:サビーネ:ショル氏

日時:4月28日(土曜日)午後4時から

場所:名古屋市立大学人文社会学部国際文化学科会議室

テーマ:日欧比較文化論的なもの

 4月より作家のザビーネ・ショル(Sabine Scholl)さんが本学の客員教授として再び来られます。期間は4月から7月までの4ヶ月間です。この機会に2,3度講演会や朗読会を行うつもりです。まずは、"Sprachlos in Japan" (Sonderzahl Verlagsgesellschaft) 2006 という前回の名古屋滞在を中心にまとめた日本に関するエッセイを中心として、日欧比較文化論的なお話を伺います。今回の滞在では名古屋のブラジル人移民問題についても調査したいとのことです。皆さんと再会するのを楽しみにしています。

http://sabinescholl.com/

第二回フロイト読書会

日時:5月11日(金曜日)午後5時30分から(曜日と時間帯が通常と異なりますのでお間違えのないようお願いします)

場所:名古屋市立大学人文社会学部国際文化学科会議室

テーマ:フロイト「トーテムとタブー」(前半)

報告:福岡麻子氏(名古屋大学大学院博士後期課程)

作家朗読会:リヒャルト・オーバーマイアー氏(Richard Obermayr)

日時:6月2日(土曜日)午後4時から

場所:名古屋市立大学人文社会学部国際文化学科会議室

 オーストリア作家のR.オーバーマイアー氏が来日するのを機会に本学で朗読会を行います。

http://www.richardobermayr.at/

http://www.literaturhaus.at/buch/buch/rez/obermayr/bio.html

 昨日のフロイト読書会は、フロイト「不気味なもの」をめぐって山口庸子さんから、丁寧なご報告がありました。heimlichとunheimlichの語源的探求、事例研究としてのホフマン『砂男』『悪魔の霊液』分析、「抑圧されたもの」を「不気味なもの」たらしめる他の用件:体験と文学の区別という項目に分けてフロイトの当該論文を紹介され、さらにキットラー『我らの自我の幻想と文学心理学』の紹介、ホフマン『砂男』の作品解釈に進むという構成でした。明確な論理構成で話され、それに触発される形でその後の討論でも活発な意見交換ができ、いろいろと勉強になりました。参加してくださった皆様にお礼申し上げます。
 また、ボン大学教授Wetzel氏の講演会(24日)は、WendersとHandkeの共同映画について、映画論、メディア論、精神病理学、心理学、構造主義詩学などの知見を縦横に踏まえながら論じたものでした。持参されたマックPCのCDが読めないとの事で、プロジェクターでの映像が見れなかったのは残念でしたが、活発な質疑応答と意見交換もでき、その後の懇親会でも、明朗闊達なお人柄ゆえに談論風発の楽しい夕べを過ごすことができました。デリダの翻訳者としても知られており、ご関心の向きは彼のHPをご覧ください。http://www.inframedialitaet.de/

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